現代だからこそ必要なエンカウンター
エンカウンターが近年によって生まれ、盛んに行われていることにはそれなりの理由があるだろう。現代社会の次の性質が、現代人がエンカウンターを求める動力となっていると考えられる。
- 浅く切れやすい人間関係
- 組織化された関係
- 核家族化
- 精神的な貧しさ
- 甘えの欲求
浅く切れやすい人間関係
現代においてはインターネット技術などの発達により、人々の間で盛んな交流はなされるようになったが、その質は極めて貧しい。自身と傾向が似たもの同士が集まり合い、同調的な雰囲気の中で個を埋没させていく。自分が自分であろうとするならば、周囲から猛烈な批判を受け、関係を切られてしまうことも多くあるだろう。
また、転勤などによって人間関係は恐ろしい速さで変化していく。じっくりと人間と向き合う余裕はなく、短期的に表面的な関係を築くだけで終わってしまうことが多い。
最近どうですか?と聞かれても、自身が抱えているホンネではなく、「ぼちぼちです」との型を答えるのが一般的であろう。相手がホンネを受けとめてくれる確証もなく、こちらもそれだけの勇気が無いのである。
そんな上辺の形式的な人間関係が飽和している現代社会において、人工的ではあるが、生の人間関係を体験することは、本人にとって「自分を理解する」という点において非常に意味のあることなのである。
組織化された関係
人にはそれぞれに役割があり、様々な役割を抱えながら生きている。役割にはそれぞれ目指すべき目標があり、何らかの集団を形成しており、組織に従属することが求められる。
例えば教員には教員の役割があり、その雰囲気や集団規範に従うことが求められている。組織に生きるということは、自分をある程度抑圧しながら、集団に従うということである。
組織の支配から解放されて、自分自身で生きるという経験が現代人には圧倒的に足りない。ホンネの自分を確認する時間として、エンカウンターは意味あるものである。
核家族
現代の多くは核家族である。
(1) 夫婦とその未婚の子女,(2) 夫婦のみ,(3) 父親または母親とその未婚の子女,のいずれかからなる家族。
まず、感情交流の対象の絶対数が少ない。また、現代日本的な風潮も追い風となって、事務的な話ししかしない家族も多くある。あまりにも人数が少ない関係の中では、利害関係がもろに出てしまい、円滑な感情交流はそもそも難しいのである。
エンカウンターグループは、兄弟のように感情交流ができる場であるし、そのような第家族的な雰囲気を目指さなければならない。決して「円満な大家族」ではなく、自分自身を率直に出すことができる大家族である。
グループを我が家のように感じることができなければ、それはエンカウンターの本来の姿に到達していないといえよう。
精神的な貧しさ
現代日本は物質が溢れすぎている世界である。基本的に衣食住に関する欲求は満たされつつある(貧困家庭の問題が大きく取り上げられる中で一概にそうも言えなくもある)。
基本的な生理的欲求が満たされつつある今、さらに上位にある欲求が人々の意識に登っている。それは認められたいという承認欲求や自己実現への欲求である。これらの欲求が満たされることにより、人は人間として満たされる=生きがいを感じるという経験をする。
甘え欲求
個人主義が強い現代においては、「甘える」ということが難しい。甘えがない生き方とは、人生の全ての苦悩と艱難を自分一人の責任で背負うということである。相互に背負い合う、支え合うという体験がなく、孤独である。
エンカウンターでは、他者に任せる(甘える)経験や、逆に他者を背負うような体験もあるだろう。「しっかりもの」とは甘え欲求を抑圧した反動形成である。しっかりものが、エンカウンターでの経験を通して、上手に甘えられるようになることもある。それは、現代において必要とされる要素であろう。
過去には、宗教が甘えを担っていたこともあった。神に祈り、すがり、任せるという経験が人々を支えていた。しかし、現代日本は無宗教の時代であり、ますます人々の中に甘えられる対象がなく、孤独感の中に生きている。エンカウンターはそのような人々にとっても意味あるものとなるだろう。
まとめ
エンカウンターは現代社会の心理的諸問題とマッチした活動である。そうでなければここまでクローズアップされることはなかっただろう。現代人の感情交流の薄さや孤独感が、エンカウンターによって補助されることも確かである。