細胞群体とは?
受験のツールとして細胞群体を理解するのは簡単である。「ボルボックス目と、クンショウモなど細胞がゆるく結合している生物を細胞群体と呼ぶ」と覚えておけば良い。有無を言わずに覚える、機械的に答えれば、取り敢えず損はしない。
しかし、ボルボックスなどは1000個も細胞があるし、細胞が分化しているし、ボルボックスの細胞同士は原形質連絡糸(下画像)と呼ばれる糸で結ばれている。これで、本当に多細胞生物ではないと言っていいのだろうかと誰しもが考えるだろう。
ボルボックスの細胞どうしは、原形質連絡糸と呼ばれる糸で結ばれている。
「細胞群体」は高校生物のみ
ここで驚きの事実だが、調べてみると「細胞群体」との言葉は、生物学の研究分野では使わない用語らしい。これはショックだ。その代わりとして用いられるのが、「定数群体」である。
「細胞群体」という言葉は、主に高校の生物教育用語として使われるようです。
定数群体とは
定数群体とは、単細胞生物的細胞からなる特殊な群体のことである。単細胞生物的細胞でありながら、1群体の細胞数は定数であるなど多細胞生物的特徴も持つ。
個々の細胞の独立性はかなり高いことが知られており、例えば群体が壊れても、破片になった細胞数の少ない状態でも生き続けるなどの性質を持つ。また、無性生殖時には個々の細胞がすべて新しい群体を形成する。
定数群体の中には、補食や傷害などにより単独の細胞となっても、生き続ける能力を持っている場合があります。私たちの実験で、緑藻のアミミドロ(分類学上、クンショウモと近縁な種)という網状の群体中の細胞を機械的にばらばらにしたところ、しばらく単独の細胞でも成長を続け、やがてその内部に娘群体が形成されました。
ボルボックスは多細胞生物か?
いよいよ本題に入りたい。ボルボックスは多細胞生物なのだろうか、それとも細胞群体(定数群体)なのだろうか。このカテゴリーについては、研究者の間でもあやふやで、福岡伸一氏などは多細胞生物と発言している。
しかしボルボックスは多細胞生物。
また、東京大学の研究でボルボックスよりも単純なシアワセ藻(4細胞)は「多細胞生物」であるとの記述がある。この定義では、当然ボルボックスは多細胞となるだろう。
シアワセモ が世界最小の多細胞生物であることが明らかとなりました。シアワセモは群体性ボルボックス目の中でも最も初期に出現した生物であり、本研究の成果は単細胞生物から多細胞生物への転換の初期段階を明らかにするものであり、進化の研究のブレイクスルーになるものです。
しかし、私が色々と調べていて感じたのは、ボルボックスを定数群体のカテゴリーに入れる風潮の背景に「進化の流れ」があることである。
パンドリナやユードリナなどは、ボルボックスよりも遙かに単細胞的である。この生物は単細胞と多細胞の中間である「定数群体」と認識できやすい。だんだんと単細胞生物が多細胞生物になる過程として、これらの生物は非常に重要である。その進化の流れ、パンドリナ→ユードリナ→ボルボックス…を明確にするため、ボルボックスもグレーゾーンとして定数群体のカテゴリーに入れられているように思う。
ボルボックス1つだけを取り出して見てみると、明らかに「多細胞」である(上述した研究者たちもそのように認識している)。しかし、この生物は単細胞→多細胞の進化の流れとして認識することに大きな意味がある。それ以外にわざわざボルボックスにスポットライトがあてる理由があるだろうか。敢えて高校生物にこのややこしい生物を細胞群体(定数群体)として掲載することは、クラミドモナスから続く単細胞から多細胞生物の流れを明確にするためであると思われる。
ボルボックスは多細胞生物と言っても差し支えない
まとめると、実際、ボルボックスは多細胞と考えても、メディアで公表しても、研究者が発言しても、全く差し支えはない。単細胞生物でないことは、誰が見ても明らかである。しかし、高校生物において、ボルボックスが細胞群体(定数群体)という訳の分からないカテゴリーに分類されるのは、「単細胞から多細胞への進化過程としての細胞群体」を意識した結果であると考えられる。
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他のカテゴリでも稀に拝見することがありますが、上記のような管理人様の考察は非常に勉強になります。
コメントいただきありがとうございます。
励まされる思いがしております。
今後ともよろしくお願いいたします。
ボルボックスが多細胞生物なのか単細胞生物なのかという、皆が有耶無耶にしたがる微妙な事案について、数十年来の、学研の図鑑「大昔の動物」を読んで以来の疑問が、貴HPのお陰で遂に明確となり、将に溜飲の下がる思いです。
有り難う御座いました。
“次“に計画しているテーマは、“動く”生物は皆高等な生き物で、それを食べるのは残虐、動かない生物は全て下等生物だから可哀想じゃないので食べて良いというような、馬鹿げた偏見を持つ“ヴィーガン”なる人々に、“動く”緑藻類の方がよほど大根(アブラナ科)やスイカ(ウリ科)より“原始的”だという事を教え、“動く”ことが “下等//“高等”の判別点では無いのだと示す事です。
コメントいただきありがとうございます。ボルボックスの扱いについては本当に混乱が生じてますよね。
高等か下等かは進化的な見方と、感情的な見方があるから難しいですよね。
自説をまとめられましたらぜひ読ませていただきたいです。