ちょっとディープな生物の世界

ダーウィンってどんな人?晩年はミミズのウンチの研究

ダーウィン=進化論

ダーウィンと言えば、「進化論」の提唱者として知らない人はいないでしょう。どこかとてつもない偉人のように感じますが、晩年はミミズのウンチの研究(立派な研究です)をしていました。そう聞くと、「カリスマ」や「天才」というイメージが崩れるのではないでしょうか。 ダーウィンとはどのような人物であったのか、少し調べてみました。

ダーウィンはおぼっちゃん(金持ち)だった

ダーウィンは実業家(そして医者)の家に生まれ、非常に裕福な環境ですごしました。また、祖父は博物学者であり、祖父の影響もあってか博物学にも興味をもちました。 ダーウィンは医師を目指しますが、挫折し、その後ケンブリッジ大学で牧師になるために勉強します。その間も博物学に興味を持ち続け、神学の成績はよくなかったものの、無事卒業することができました。 そして、出航予定のビーグル号に、恩師ヘンズローの紹介がありましたが、父親の反対があって断念しました。しぶしぶ断りの手紙を書いていると、叔父が助け舟を出してくれ、5年間の乗船が許可されました。

ビーグル号での探検

ビーグル号での体験はダーウィンにとって強烈なものでした。初めてみる動植物に感動しました。

南米では、オオナマケモノの絶滅種、巨大哺乳類のミロドンの化石を発見しました。その近縁種であるアルマジロがどうしてこんなにも小さいのかを不思議に考え、その化石が大昔の気候や植生が現在とは大いに異なる時代のものであることを確信していきました。 そして、ガラパゴス諸島ではこれまでの航海でも見たことのない動物・植物を発見することとなります。さらに、それらの動植物がたった5,60kmしか離れていない島々で特有の変化を遂げていることを発見しました。具体的には、ガラパゴスゾウガメ、ウミイグアナ、ガラパゴスフィンチが島ごとに少しずつ異なっていました。 https://www.youtube.com/watch?v=uuGat9Lo02g

種の起源発行までの悩み

ダーウィンは航海の記録を出版し、ダーウィンのビーグル航海記はベストセラーとなりました。 [amazonjs asin=”4582541380″ locale=”JP” title=”新訳 ビーグル号航海記 上”] ダーウィンはその後、食器のブランドとして有名なウェッジウッドの娘のエマと結婚します。これまたお金持ちの家柄です。 ダーウィンは、自身が探検中に考え出した「進化」の概念を公にすることは急いではいませんでした。そうすれば、「神への冒涜」だとして非難を受けることが目に見えていたからです。 しかし、1858年、アルフレッド・ラッセル・ウォーレスから、「個体変異が続くと新系統として固定される」という考えが妥当かどうかを判断してほしいとの手紙が送られてきます。これにダーウィンは焦りました。結局、ダーウィンとウォーレスは一緒の場で論文を発表します。 論文が発表された時には、格別の騒ぎはおこりませんでした。しかし、「種の起源」が翌年発表するやいなや、反論・抗議のうねりが起きました。 [amazonjs asin=”B00H6XBDEQ” locale=”JP” title=”種の起源(上) (光文社古典新訳文庫)”]

社会からの拒絶と宗教心

特にキリスト教会から猛烈な批判を受けました。ダーウィンを猿にもじった風刺画はとても有名です。 しかし、そのような迫害を受けながらも、それでもダーウィンには宗教心がありました。彼の中では「創造主」という存在が消え去ったわけではありませんでした。ダーウィンは次のように本に記しています。

「生命は創造主が初めに息を吹き込んだいくつかの、あるいは1つのものに由来する力に満ちている。そして始めはとるに足らない簡単なものから、最も美しく、最も素晴らしい終わりのない形が作られていき、そして今でも作られ続けているのである」

世間はダーウィンが「聖書」に反抗しているとして攻撃を受けました。しかし、実際は反抗ではなく、現実世界の観察結果から、あらたな聖書の解釈を導き出しただけなのでしょう。

晩年はミミズのウンチの研究

ダーウィンの晩年、「ミミズの作用による腐植土の形成」という論文を発行します。これは、簡単に言ってしまうえば「ミミズのウンチの研究(大真面目)」となるわけですが、非常に面白い研究です。 ダーウィンはいろいろな状況のもとで、ミミズが運ぶ土の量を計算しました。家の近くの丘陵地では、0.5ヘクタールあたり、18トンもの量の土が、地表に運び出されることを観察しました。 結果、石垣が沈んでしまうことや、ローマの舗道を埋めたのもミミズのしわざであると結論づけています。

1つ1つ丁寧に生きた人生

ダーウィンは、おそらく奇抜な人物というよりも、ミミズの研究からもわかるように、誰にでもできるような観察をコツコツ積み上げてきた人物なのではないかと思います。 どんなささいなことも観察し、記録し、見落とすことなく丁寧に受け止め、考えた人物なのではないでしょうか。だからこその「進化論」という結論が導き出されたのでしょう。 多くの苦しみがあったダーウィンの人生ですが、その1つ1つを丁寧にじっくりと取り組む人生に、学ぶべきことが多くあるような気がしています。

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