平衡とは?
例えば、食塩を溶かして飽和水溶液を作ったとしよう。そこにさらに食塩の塊を入れてもそれ以上溶けはしない。しかし、実際にミクロのレベルで見てみると、「溶ける(水和する)」、「固体になる(イオン結合する)」があらゆるところで起きている。
それでも「溶ける量」と「固体になる量」が同じなので、見かけ上は食塩塊が小さくなることも大きくなることもない。この状態を平衡と呼ぶ。動的平衡とは区別して「静的平衡」と言える。
動的平衡
生物もある意味で平衡状態を保っている。生物は食物を食べて自身の体の一部とし、古いものを分解して排出する。代謝が絶えず行われているが、体の構造・大きさは変わらない。これも一種の平衡状態であると言える。
生物の場合、外から物質を摂取して体内の一部とし、不要物は体外へ排出する。物質の流れが外(食べ物)→内→外(排泄物)と流れが一方的で循環していない(生態学的な大きな視点では循環しているが)。このような流動的な平衡状態を「動的平衡」と呼ぶ。
ルドルフ・シェーンハイマーの実験
生命が動的平衡の状態であることは、ルドルフ・シェーンハイマーの実験によって確認された。
シェーンハイマーは成熟したネズミに重窒素(窒素の同位体)で標識したロイシン(アミノ酸)を含む餌を与えた。成熟したネズミは体を大きくする必要がないので、摂取したアミノ酸は生命活動のためのエネルギー源となることを予想していた。つまり、重窒素を含むアミノ酸は分解され(エネルギーが取り出され)、尿や糞として排泄されることの予測を立てていた。
しかし、実際の結果は、尿・糞として排泄されたのは投与量の29.6%だけであった。重窒素の半分以上の56.5%は体を構成するタンパク質の中に取り込まれていた。さらに、取り込み場所はありとあらゆる部位に分散されていたのである。しかもその多くは腸管や腎に多く取り込まれていた。
この実験の間にネズミの体重に変化はなかったことから、全身のタンパク質が恐ろしいスピードで破壊され、また新たに合成されていたことがわかる。実際にネズミの全身のタンパク質は3日で半分が新しいタンパク質に入れ替わることが確認されている。
さらに、重窒素はロイシンとしてネズミの体の一部となったのではなく、ありとあらゆるアミノ酸に取り込まれていた。つまり、重窒素を含むロイシンは一度分解され、新たにアミノ酸が合成されたことがわかった。
まとめ
食べ物を食べ、体内の物質を分解し、新たに合成し、排泄する。生物はありとあらゆる部位を破壊しては創造するという作業を繰り返している。これは一見無駄に見えるが、生命の秩序を維持するためには必要な作業である。
ある秩序を維持しようと思ったとき、工学的な発想に立てば、とにかく地下深くに基礎を打ち込み、長時間、浸食や風化に耐える素材を用いて「頑丈に作る」ことになります。しかし、秩序は時間には勝てません。時間の経過とともに、整理整頓したはずの机の上はぐちゃぐちゃになり、いれたてのコーヒーは冷め、熱い恋愛も冷める(笑)。それが宇宙の大原則である「エントロピーの増大」(※)という法則です。そこで生物は、最初からがっちり作るという方法をあきらめて、柔軟な構造をつくり、エントロピー増大の法則が襲ってくるより早く、先回りして自らを壊して造りかえる方法を選びました。
アミノ酸など体を構成する秩序ある物質はエントロピーの増大にされされており老朽化が進む。この老朽化を排除するためには、進んで破壊し、新たに合成し直す必要がある。破壊と創造、それが生命現象の本質であると言えるだろう。
生命にとって重要なのは、作ることよりも、壊すことである。細胞はどんな環境でも、いかなる状況でも、壊すことをやめない。むしろ進んで、エネルギーを使って、積極的に、先回りして、細胞内の構造物をどんどん壊している。なぜか。生命の動的平衡を維持するためである。
秩序あるものは必ず、秩序が乱れる方向に動く。宇宙の大原則、エントロピー増大の法則である。この世界において、もっとも秩序あるものは生命体だ。生命体にもエントロピー増大の法則が容赦なく襲いかかり、常に、酸化、変性、老廃物が発生する。これを絶え間なく排除しなければ、新しい秩序を作り出すことができない。そのために絶えず、自らを分解しつつ、同時に再構築するという危ういバランスと流れが必要なのだ。これが生きていること、つまり動的平衡である。
「動的平衡」との言葉は福岡伸一氏の著作によって一躍有名となった。